ヨハン早稲田キリスト教会(イエス様愛してます)

神様なんか関係ない、世の中で頼れるのは自分だけだ、と言っていた私がクリスチャンになり、
イエス様の素晴らしさをお伝えしたく、このブログを開設致しました。
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私の通っている東中野にあるヨハン早稲田キリスト教会のある兄弟の証です。長文ですので、3回に分けようと思いましたが、あまりにも恵まれましたので一度に全てを書き込みます。 


私は生まれながらにして片方の眼は見えません。この事で、小学生の時にいじめに会いました。次第に、自分の価値を感じられなくなり、 
一度だけ、母に「なぜ僕をこんな眼で産んだの」と攻めたことがあります。その時初めて母の苦しみと悲しみが感じ取れ二度とこの話題には触れてはいけないと子供心ながら受け止めました。

あとで知ったのですが、母が私を身ごもった時、事情があり、葛藤の末、流産するしか術はないと病院で流産処置の治療を始めたとの事でした。しかし、どなたかから「この子は産みなさい、必要の無い子なら天に召されます」と言われ、流産を思いとどまったと言う事でした。私の片眼が見えないのは、おそらく流産処置した事が原因だと思います。

      NO! 
    
母は自分の罪の苦しさと家族の幸せの為にある宗教に夢中になり収入の大半を捧げ、最後には全財産を捧げ他界しました。
そんな母を見て育った私は、宗教に疑いを持ち、何にも頼らず自分の力で生きて行く決心をしました。
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歳の時、長年勤務した中堅商社が倒産した事を切っ掛けに「日本を出て、海外で新しい人生を一から始めたら、何か変われるのでは?」そうした未知の世界での期待と憧れが、私を動かしました。そして韓国への渡航が決まった時、これからは誰にも頼らず、もっと強く生きようと決意しました。韓国で起こした事業は、自分でも信じられないほど成功しました。しかしいつも心が満たされる事はありませんでした。

      宝の山

有頂天隣なった私は、本業以外に不動産などにも手を出すようになりましたが、IMF韓国危機で全ての財産を失いました。そして、残ったのは多額の借金と韓国の友人のみ。いま考えると父なる神様は、自分の高慢さと欲の深さを戒めてくださったのだと思います。

       


ある友人の勧めで韓国にある教会に行きましたが、クリスチャンが、目には見えない「神」という存在を本気で信じている事が不思議でした。色々な理由を付けては教会から離れましたが、新たに友達を作れば、自分の意思に反して、必ずクリスチャンの方々でした。しかし私の心には何の変化も起こらず、気づけば随分年月が過ぎていました。


         

 
そんな時今年の4月に、在日の韓国取引先の方からお誘いがあり、ヨハン早稲田キリスト教会に導かれました。礼拝で牧師先生の説教を聞いて、神や教会を嘲笑っていた自分の愚かさを恥じました。そして今までの色々な感情がこみあげてきて涙が溢れとまらなくなってしまいました。所属する第一男子宣教会の皆さんが私と、家族の為に祈って下さいました。彼らは会った事も無い私の兄弟ために、彼らの貴重な多くの時間を費やしてくれたのです。もし自分だったら、まるで自分を犠牲にしてまで他人の事を思いやる事ができたでしょうか。彼らの深い愛情が私を包んだと同時に、私の心はどうしようもない位の罪の念にかられました。クリスチャンの人々と深く接していく内に、心の豊かさ、綺麗さが私の心に映るのでした。「彼らのことをもっと知りたい、そして、そんな彼らが讃える とは、一体どういう存在 なんだろう?」そうした彼らへの関心が、次第に神への興味と変わり、その思いは日に日に高まっていきました。

         聖書       
聖書を学べば学ぶほど、神様からの御言葉が、心に響くと同時に、神に愛される資格などある訳ないと思っていた私はそれが間違っていた事に気づかされました。黙示録
3:20
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」これまでに、神様から3度に渡り、死の運命と失望から救われた経験があります。

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歳(今らから9年前)の時、交通事故で心拍停止し3日目に意識回復した事、その際に、臭気機能を失ったこと、頭蓋骨が陥没し、記憶が一部喪失したこと、唯一の左目が網膜剥離の兆候が現れている失明の可能性が高いと医師に言われたが、幸いにして左目はその後症状が現れず神様のご加護を受けています。

       

こんな私でも、神様は受け入れてくれて、愛を注いでくれていたのです。
 
私は愛されるために生まれてきたのです。その真実が、私にどれだけ勇気を与えてくれたでしょうか。生きる希望を与えてくれたでしょうか。そこで、祈り続けたひとつの事があります。「神様、私はあなたを信じたいです。あなたについていきたいです。しかし、私はこの事を口にする勇気だけはどうしてもありません。どうか、私の準備が出来たとあなたが判断した時、私に心の戸をあける勇気を下さい。できれば、今年中に下さい。」 しかしいっこうに、その発言をするチャンスは訪れず、

むしろ神に対して距離を置いてしまう時期もありました。そして時は4月。もう時間はない、きっとまだ、時はきていないのだ。欲張って高望みをした自分に後悔し、諦めかけていた矢先でした。
誰もが予期しない不思議な出来事が重なり合い、その中でとても自然な流れで、私は自分の罪を認め、イエスさまを個人的な救い主として信じ、従っていく信仰告白をする事ができました。
 
今、私は自分がクリスチャンであることを、包み隠さず人に話そうとしています。バカにされても、軽蔑されても良いです。それを気にしていたら、一体誰がこの神様の素晴らしさを伝えられるでしょう。神の下で生きる今、自分のはずかしめを気にするより、それ以上に福音を伝える事に意味があると思います。主なる神様の愛と神様を賛美できる喜びを、多くの人に知って欲しいと心から思います。

 
         
また、私が今までずっと見つけられなかった人生の目的私達は、神から愛されるために生まれてきたという事 - この真理を、一人でも多くの人が知った時、それ以上の喜びはありません。私が私として生まれてきた事に、そして全てを導いてくれた主なる神様に、感謝し、私の証とさせて頂きます。

兄弟の証し | 13:17 | author racer-n-tone | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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