2014.09.25 Thursday
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ヨハン早稲田キリスト教会(イエス様愛してます)神様なんか関係ない、世の中で頼れるのは自分だけだ、と言っていた私がクリスチャンになり、
イエス様の素晴らしさをお伝えしたく、このブログを開設致しました。 |
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2014.08.02 Saturday
私が毎週主日(日曜日)に通っている東中野のヨハン早稲田キリスト教会で、いま旧約聖書のヨブ記を学んでいます。 東の国一番の資産家ヨブについての事実が記録されています。敬虔で神を畏れ、信仰心の篤いヨブが、全財産と、12人の最愛の子供達を一瞬にしてなくしたにも拘らずヨブは、神を呪うどころか次のように言ったのです。 [わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 このような状況の中で主を褒め称えられるヨブの信仰の基本は、全ての主権者は父なる神様であられるという事に他なりません。 しかし災いの大波は、まだまだヨブに押し寄せます。 ヨブは重い皮膚病(らい病)にかかり、一番身近にいる良き理解者である筈の妻からも、「神様を呪って死ね」とまで言われます。それでもヨブは「わたし達は神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と言い、その信仰は揺れません。 さらに3人の友人がヨブを励ますために見舞いに来たのですが、ヨブの有様を見て、ヨブが罪を犯したから神様に裁かれたに他ならないと、世の原理原則である因果の法則を持ってヨブを裁き攻め立てるのです。 しかしヨブは「私は知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。」と言うのです。 わたし達はこのような状況に陥ったら、「こんなに信じてるのに。どうしてこんな目に遭わなければならないのか!」と神を呪い信仰が揺れるのではないでしょうか?それは主権者が神様ではなく、まだ自分にあるからではないでしょうか。 「こんなに信じてるのにではなく、信じてあげてるのに」の信仰ではないでしょうか?「恵によって信じる事が出来ている」と考えるのは、主権が神様であり、「信じているのに」と考えるんのは主権が自分なのです。 神様の試練に耐え忍んだヨブは、神様から、全ての資産、子供が以前に比べ倍になるという祝福を頂きました。ヨブ記を通して、世の全ての主権者は父なる神様ただお1人であるという信仰が、試練や災いを乗り越え、神様に祝福される秘訣で有るという事を悟る恵が有りました。アーメン! |
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